「人生毎日楽しく生きていきたいなぁ・・・」
そんな淡い希望を抱いていた時期が懐かしい、そんなふうに思います。
こんにちは!ビブ・スクレ案内人のバンビです!
この記事では、『ビブ・スクレ』を運営するバンビの今までの人生を振り返りつつ、
今時ブログを始めた理由などについての経緯を記していこうと思います。
多分、人生を語るのでかなりの長文になるかと思いますし、ごく平凡な人生を過ごしてきましたので、興味のない方はスルーしていただければと思います。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします。
バンビとはどんな人間なのか
改めまして、眼鏡系男子のバンビです!
1996年3月生まれの札幌市在住のアラサーです。
自分でアラサーとか言うと悲しいですね...。そんな年齢になってしまいました。
現在はこのビブ・スクレというブログを運営しています。
そのほかにも「X」「YouTube」「note」なども用意はしていますが、それらはこれから頑張っていきたいと考えていますので、どうか温かい目で見守ってください。
仕事は眼鏡の販売
仕事は眼鏡の販売をしています。毎日、眼鏡をいじくっています。
眼鏡の仕事は性に合っていたのか、【専門学校に通おうかな!】と考えているくらいに眼鏡の世界にのめりこんでいます。
実は眼鏡の仕事は二つ目で、眼鏡の前はパチンコ屋の店員でした。
パチンコ屋時代については後程語りますね!
案内人バンビの人生
それではここから詳しく人生を振り返らさせていただきます。
生まれてから小学生時代
1996年3がts...
は、もういいですね!
現在も住んでいる札幌市に生まれました。
生まれたときは大変カラダが弱く、母曰く、「産声をあげないと思ったら血を吐いた」そうです。
そのまま救急センターに搬送され今に至ります。
横隔膜挙上症という状態だったらしい。
そこからすくすくと育っていき、ぽっちゃりとした男の子になっていきます。
人生のどん底な中学生時代
中学生になり、なんと僕はイジメられます。
物を隠されるのは当たり前、悪口陰口なんでもありでした。
いじめられてはいましたが、それでも気丈に振る舞っていました。
それが気に食わなかったんでしょうね。
【自分が耐えていればいいやぁ...】
【自分が我慢していればいいやぁ...】
と思考を放棄するようになり、かつ、この時期くらいから自分の心を守るため、嘘をつくようになっていきました。
(これは直さなければいけないと思いつつも染みついているのかなかなか直らん)
大学目指して一念発起した高校生時代
中学校をなんとか耐え抜いて卒業したものの、中学時代の人たちと同じ高校となり、生き地獄は続いていきます。
そんな中での高校一年生。副担任が僕を職員室へ呼びます。
いきなり、なんで呼ばれたのか分からない僕。
とてもビビる。
『バンビ、お前は英語がとてもできるから大学に行かないか。もし、お前が大学を目指すなら、この参考書を貸す。授業は聞いてるだけでいいから、この参考書で勉強しろ。』
・・・???
わけわかめ。。。
【高校の偏差値は43。正直言って、そんなにレベルは高くない。なんなら低い。】
【そこから勉強して大学に?】
【できたらカッコよ!!】
そんな風に思い、僕は部活もしつつ勉強に励むことになるのです。
最初は学年順位は360人中110位程度。
そこから、57位→23位→・・・と順位を上げていきましたねぇ。
自慢ですが、高校2年から卒業までは総合順位7位をキープ。
英語に至っては学年1位を取り続けました。
なぜ、こんなに英語が強かったかって?
公文、いっくもん♪に幼稚園生から通ってましたから!!
無事に手に入れた平和な大学生時代
一生懸命に勉強したおかげもあってか、大学は実力相応の私立校に決まります。
(高い学費をありがとう)
意気揚々と、ある目標に向かって学生生活を励むことに決めていたのです。
【学校の先生にオレはなるッッッ!!!】と。
中学時代のいじめや、高校の先生の影響もあって教師になろうと決めていました。
そのために毎日、勉強や学外でのボランティア活動などに精を出した僕です。
もともと英語がそれなりに好きだったこともあってか、大学での授業はかなり楽しかったです。
基礎的な文法やライティング、リーディング、リスニング、それからスピーキングに特化した授業、アジアやヨーロッパだけでなく日本の歴史や文化について、異文化間コミュニケーションについてなど、大学では自分の興味関心を優先できるため、いろんなことを学べました。
もちろん、学校の先生を目指していたため、教職もしっかりと履修しました。
無事、就職 → しかし見事に半年で退職。お金のトラブルを引き起こす
教師になるためのイベントといえば、教育実習と教員採用試験ですよね!
僕も経験しました。
教育実習では毎日死にそうになりながら学校の先生という立場で現場を勉強し、教育実習終了後すぐに教員採用試験を受けました。
結果はというと、、、見事に失敗。
臨時採用の声もかからず、僕は教師を目指すことを諦めます。
(実際は臨時採用の連絡は来ていたんですよ。ただ時期が未だに忘れもしない3月29日に湧別町での採用。無理やん。断りました。)
教師の道を諦めた僕は、すぐに就職活動へと切り替えましたが、時すでに遅し。
もうほとんどの企業が採用活動を終えていました。
就職浪人だけはするなと耳にタコができそうなくらい申しつけられていたので、僕は必死になって就職先を探しました。
そして、唯一内定をもらえたのが某総合アミューズメント企業でした。
そして見事にパチンコデビューを果たしたのです。
やっとの思いで就職活動を終え、働き始めた僕はこの会社で一つの野望を抱きます。
【人事になって採用や人材教育に携わるッッッ!!!】と。
なんだかんだ言っても人に何かを教えるということがしたくて、教えるものが英語から仕事になっただけでと思い僕はその野望を胸に働きだしました。
しかし、現実はそう簡単に事を運ばせてくれません。
最初は店舗への配属で、そこから何かしらの評価を経て、どんどん等級が上がっていくものでした。
早い人は1年ほどでどんどん出世コースに乗っていくというものです。
僕自身も人事として働きたかったため、毎日の仕事は頑張っているつもりでした。
しかし、周囲とのコミュニケーションが苦手なことや、焦ると軽く脳内パニックを起こしてしまう自分にとって毎日がストレスで体調を崩してしまい、半年で退職するという決断をしてしまったのです。
半年で仕事を辞めてしまい、半年もフリーターをしていました。
そんな僕に社会はそう優しくありません。
病院に行けばうつ病と言われ、それは絶対に違うと思い、また別の病院に行けば気分変調性障害と言われ、だんだんと自分の心が荒んでいき、診断を確定させていないのに病気を盾にして、遊び呆けるようになりました。
そんなある日、ネットサーフィンをしていると、とある文言が目に入ってきました。
『あなたの苦しい経験をもとに、インターネットでできるカウンセラーになりませんか?』
・・・???
カウンセラー?
もともと学校の先生を目指していた僕にとって、人の心もまた興味のある分野でした。
【カウンセラーになればもっと活躍できるのかなぁ?】
そう考えて、説明会に参加しました。しかし、これが運の尽き。
『これからはインターネットでカウンセリングをする時代!いまここで私たちのメンバーになればカウンセラーとして独立も難しくない!』
『カウンセラーとして独立出来たらお金に悩むことなんてない!』
冷静な判断ができる今なら【そんなバカなwwwww】とたくさん笑うことができますが、当時の僕は必死でした。
仕事をしていなかったため、なけなしの貯金と奨学金の返済もあるのに借金をしてスクールに入学してしまったのです。
結果として、そのスクールは僕には合わなかったのず、無駄な借金だけしてしまったのでした...。
キャリアの再建のため、再就職
自分の判断力のなさは、いま思い返すと呆れますね!(笑)
どうしようもなくなり、僕はついにもう一度働くことを決意します。
【まずは再就職するための資金を!】と思い、コールセンターでアルバイトをしながら、転職活動を始めました。
第2新卒やエージェントなどの存在も知らなかったので、自分自身での戦いが始まります。
コールセンターでバイトをしながら求人を見ていると、とある求人が目に入りました。
『未経験歓迎!眼鏡の販売スタッフ』
【眼鏡か...、自分も使ってるけどよく分からないなぁ...。】
【眼鏡屋ってなんか落ち着いていそうで、パチンコとは違ってのんびり働けそうだぁ...。】
【手に職つけられそうなしごとだよなぁ...。】
そう思ったのでいくつかの会社に応募してみました。
その結果、アルバイトからのスタートで入社が決まりました。
眼鏡にのめりこむ日々
アルバイトから入社をして、その後は準社員へとなりました。
実際に眼鏡の仕事をしてみると、意外と大変。
眼鏡のパーツ部位の呼び名から、眼のこと、レンズのことなど覚えることはたくさんありました。
眼鏡のつるはテンプルと呼び、耳にかかる部分はテンプルエンド。
そのエンドにカバーのようにかかっているものはモダン(先セル)と言う。
覚えることはたくさんあっても僕にとっては毎日が新鮮でした。
例えば測定一つをとっても、同じ眼を持っている人はいませんし、似たような眼の状態でも度数の合わせ方で人によっての感じ方も変わるのです。
この仕事は非常に僕をのめり込ませました。
知識が増えていくと、それに比例してできることも増えていく。
そうなるとお客様にできることも増えていく。
眼鏡の仕事は一つ一つの積み重ねが大事な仕事なのだと思いました。
結繰り返しになりますが眼鏡の仕事は僕をのめり込ませました。
結果として、配属先では新人教育などを受け持つことになり、仕事へのモチベーションもドンドンと上がっていったのです。
人生2度目の退職。今回は前向きな理由も。
そうして僕は、会社でアルバイトから準社員、準社員から正社員へとステップアップし、今では副店長を任されることになりました。
ただ、ここで僕の悪い癖が出てきます。
副店長となりお店を管理する仕事も増えました。
【自分の経験として管理するということも仕事やってみたが、どうも毎日がつまらない】という思いに支配されます。
それと同時に、【ここに居続けたらやれることに限りはある。もっとできることを増やしていきたい】とも思うようになりました。
そうして僕は2度目の転職を決意し、同業他社で修業をすることが決まったのです。
ブログを始めようと思った経緯
今回、僕がブログを始めようと思った経緯をお伝えします。
自身の経験や得た知識が人のためになること
上記をモットーにブログを発信していこうと思います。
僕自身がやりたいことでたくさん迷ったことがあるので、やりたいことで迷っている人への一つの参考になってくれればいいなと考えたこと。
自分自身で得た知識などを発信することで、その仕事をしている人たちへの手助けになってほしいなと思い、このブログを作成しました。
僕の得意分野としては、いま行っている仕事の眼鏡のこと。
それから学生時代には英語や心理、教育についても勉強していたので、教育的な分野も得意だと思っています。
また僕は読書も好きなので、自分が読んだ本なども参考になればと思い、読書記録なども本棚として発信していこうと思います。
それでは、長くなりましたが末永くビブ・スクレをよろしくお願いいたします。